テレビ・ドキュメンタリーと戦争・戦後史の記憶

「テレビ・ドキュメンタリーと戦争・戦後史の記憶」

日時:2007年5月11日(金)18:00〜20:30
場所:日本大学法学部本館2階第1会議室
  
司   会:小林 直毅(県立長崎シーボルト大学
問題提起者:桜井 均(NHK放送文化研究所
討 論 者:佐藤 卓己(京都大学
     :金山 勉(上智大学
 

※研究会は、会員でなくとも、参加できます。
 直接、会場にお越し下さい。

この研究会は、本年の春季研究発表会におけるシンポジウム「水俣病事件報道を検証する」と連動した企画として、理論研究部会と企画委員会との共催によるものである。

 戦後日本の私たちの記憶を構築してきたテレビ・ドキュメンタリーの歩みを振り返り、その作品群が、戦争をどう描き、戦後史の文脈のなかで水俣病事件をどう描き、それらを見ることで人びとがどのような記憶を形成し、共有してきたのかを考えようというのが、この研究会の趣旨である。

 日本でテレビジョン放送が開始されてから今日までの間に、ドキュメンタリーはテレビ番組の一つのジャンルとして確立され、制作者の意図に基づき、日本の社会や人びとの生活を描き出し、その「作品」をとおしてさまざまな出来事を表象するだけでなく、私たちの集合的記憶の形成に大きくかかわってきた。戦争を直接経験していない人びとも、テレビ・ドキュメンタリーをつうじて、さまざまなかたちで戦争の記憶を形成し、しかもそれらのいくつかを共有している。戦後、「民主化」されたといわれる時代に起きた水俣病事件をめぐっても同様に、人びとは多かれ少なかれその記憶を形成し、共有している。

 テレビ・ドキュメンタリーは、その時々の歴史的、社会的出来事を記録したものであると同時に、制作者によって編集された歴史的、社会的出来事の表現であり、視聴者がそこに映し出され、そこで語られたものから出来事を認識し、理解し、記憶する過程でもある。この点で、テレビ・ドキュメンタリーの作品群に迫り、それらが何をどう描き出してきたのか/何をどう語ろうとしてきたのかといった問題を検討することは、人びとが何をどう認識し、記憶するに至ったのかといった問題を考える際に重要な意味をもつだろう。

 他方で、現在の地上波放送の番組編成では、とくに社会的問題を扱ったドキュメンタリー番組は深夜帯に傾斜し、その数も限られ、多くの人びとが視聴できる状況にあるとはいいがたい。視聴者からすれば、日々のニュース番組で取り上げられたアクチュアルな問題にかんする長めの特集がドキュメンタリーの代用になっているのかもしれない。また、ドキュメンタリー番組の制作をめぐっても、放送局内外からのさまざまな制約が働いていることが指摘されている。そうしたなかで、キー局よりもむしろ地域局において、地域に固有のイッシューをとおして、より広範な社会的問題をアクチュアルに語り、描き出すドキュメンタリー番組の制作が試みられているといった状況も見られる。

これを敷衍して考えると、テレビ・ドキュメンタリーの制作、編成の仕方の変化によって、社会的問題の意味を考え、記憶する方法やプロセスが変容しつつあるといえる。この点で、「作品」としてのドキュメンタリー番組自体だけではなく、テレビ・ドキュメンタリーを取り巻く環境がどのような状況にあるのかという視点から、制作現場の実相に迫ることも必要であろう。さらに、ドキュメンタリー番組をとおして戦争や戦後史の出来事を語ることの意味や、それに必要不可欠となるドキュメンタリー作品のアーカイブの構築と公開についても議論してみたい。